法学部卒がつぶしが利く本当の理由 August 8, 2006
「法学部はつぶしが利く」と言われている。法学部を出ておけば、一つの職業でうまく行かなくても、何かしらの職業で食っていくことができるという意味だ。
僕は、この「つぶしが利く」という表現に、ものすごく生命力の強そうな印象を受けて法学部に入った。 そんなわけで、本当にそうなのかどうなのか、という点が半信半疑のままずっとひっかかっている。
しかし最近になって「本当にそうかも」と思うようになった。
一つには、飯のタネである商売が法律行為のかたまりであるため、法律に明るいこと自体が有利である、という当然の理由がある。商行為についてさっぱり分からない、なんてことがない。
でも、それよりも本質的な理由に気づいた。 それは思考様式が他の学部と決定的に違う、ということから来ている。 最近『インポッシブル・シンキング』を読んで、メンタルモデル(思考のパターン)が人の能力を決定するということを強力に再確認した。
メンタルモデルとは物の見方のことだ。経験や記憶、学習などを通して形成される。 数学や工学などの理系学部は言う間でもなく、数理モデルに基づくメンタルモデルを強力に持つことになる。また、社会学、経済学などの人文科学系学部も社会を良く説明するための理論やイデオロギーに基づくメンタルモデルを形成する。 それぞれのメンタルモデルは、その学問を学ばなかった人には理解できないものを理解できるようにしてくれるが、一方で学ばなかった人が見えるものを見えなくする作用もある。
これに対して、法学部は全く違う思考様式をとっている。法律行為というのは究極は人間どうしの利害調整なので、複数の立場を前提にしている。 つまり、最初から複数のメンタルモデルを持たなくてはならない学問という点が全く違う。 原告の論理と被告の論理を精神分裂的に組み立てるのが法学部なのだ。
法律の勉強とは六法の条文を記憶することだと思っている人がいるかもしれないが、実は全然違う。 むしろ、判例(過去の裁判歴)を解釈することで、さまざまな主張パターンを知ることに重点がある。複数のメンタルモデルの衝突を丸くおさまる形で整理解釈するのが、法律の使いみちだ。 判例を見ていると「それはありえんやろ」というような行動やそれを正当化するような主張も多数出て来る。そんな主張がメンタルモデルとして成立しうることを学ことで、他の学部生とは一風変わったアタマが形成されていく。
大学時代は周りがそんな人ばかりなので気づかないのだが、働き出してから改めて友人の印象を考えると「柔軟性が高い」という傾向がある。 すっ飛んだ話をした時に普通の人が「そんなことはあり得ない」というところを、「そういう人もいるかもな。でも、このケースでこけるかも」と一歩具体化するところがすごいところだ。
ある事象や仮説を「あり得る」と思うか「あり得ない」と思うかは、微妙な差のようにみえて無限の開きがある。それがメンタルモデルの力だ。
それを形容して「つぶしが利く」という表現はかなりうまく言った表現だと思う。「必ず何かを成し遂げる」ではなくて「ぎりぎり何とかなる」というニュアンスなのが非常に絶妙のサジ加減だと思う。
それは多彩なメンタルモデルを身につけることによるゴキブリ的生命力なんだと今にして思う。