もっと機会損失を考えるべき December 12, 2006
人生の成功確率を左右する発想のポイントの一つに「機会損失を考えているか否か」があると思うようになった。 機会損失とは投資分野で良くとりあげられる用語で、「ある行動をとらなかったがために得ることができなかった利益」を指す。
投資では金融商品ごとにリターンが異なるので、別の証券を買っておけばこれだけ儲かったはずだという事象がたくさん発生する。
しかし、話は投資にとどまらず、この機会損失は人生全般で発生している。 世の中には危機感のある人とない人、アクティブな人とパッシブな人がいて、まるで別の生き物であるかのようにくっきりと層が分かれている。 「なにかをしないではいられない」と日々考えている人から見れば危機意識を持たない人など全く不可解でしかないし、逆もまた真だ。
この2層構造が長らく謎だったのだが最近頭が整理されてきて、この差を生み出しているのは機会損失を考えるスキルを持っているかどうかではないかと思うようになった。 典型的な思考パターンをまとめると以下のような差があるのではないかと思う。
- 危機感を持つ人、アクティブな人:もし自分が別のことを行えばこれぐらい良いことがあるのではないか?
- 危機感を持たない人、パッシブな人:いまの自分はこんなもんだが満足するしかない。それは過去××だったせいだ
この2つの思考様式には接点がないため、会話が成り立たない。そして、実際に会話が成り立たないケースの典型例もこんな感じではないだろうか?
機会損失について考え続ける人はあまり反省したりしない。ひたすら損失を回避し取りうる機会を追求するだけの話だ。 たとえばパーソナルMBAなどが新しい傾向の例だと思う。MBAタイトルを取得しに行ったら、その時点で学費と勉強に費す時間という重い支出が確定してしまう。 MBAは本質的に理論の詰め込みとケーススタディで構成されているので、自前で同じようなことをやった方が帳尻が合うんじゃないか?というのがパーソナルMBAのアイディア。 こういうのをリーズナブルな思考というだろう。
他にも、政治改革がニセ改革で終わるのはやるべきことを明らかにしないからだし、教育制度を16年間の服役生活と見ずにセピア色の思い出に変えているのも本当に学ぶべきことが何かを定義していないからである。
機会損失を考えるのが難しい理由は、実際には起こっていない架空のストーリー(ただし現実味のあるもの)を考えなくてはならないからである。いま現実にどういう行動をとっているかということは一切関係がない。
インポッシブル・シンキングではこの問題を掘り下げている。 人の視野(メンタルモデル)は自分が思っている以上に狭く、視野の外にあるものを見る(=機会損失を考える)ためには、そのためだけの思考訓練を続けないと身につかない。
法学部卒がつぶしが利く理由も同源だ。弁護士の卵のくせに狭いメンタルモデルしか持たないやつがいたら、そいつはニセモノである。
けっきょく、「視野を広げる」「メンタルモデルを作りかえる」「夢を持つ」といった言葉は全て同じことを指している。 着手していないがために損をしていることは山ほどある、と考えてみることが自分を変える一歩になるだろう。