総論賛成・各論反対の構造

2007年2月6日(Tuesday) 07:42pm
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総論賛成・各論反対は、何か新たなことを始めようとしたときに普遍的に発生するアンチパターンである。
お題目は良かったのに、いざ着手しようと思ったら周りは敵だらけという状況になる。

僕自身の経験から言うと、各論反対のフェーズまで進んだ場合プロジェクトを修復する余地はない。
一度拒絶が始まると利害関係者の譲歩を引き出すことができなくなるため、プロジェクトのとりうる選択肢がぐっと狭まる。
これは新規プロジェクトとしては死んだも同然の状況だ。

問題は、異論のない「総論賛成」からスタートしたことに始まっている。
「各論反対を避けるためにとりうる対策とは?」と考えたらアウトで、そもそも総論賛成などという事態が起こってはいけないのだ。

なぜ総論賛成がありえないのか?
人にはやり方を変えたくないという精神の慣性が働いているうえに、新規プロジェクトには不確実性がつきまとう。
だから、重要なプロジェクトほど懸念や緊張感が高まるのが自然な姿と言える。

これが満場一致で総論賛成になるようだと、それは何かが理解されていないから、ということになる。
理解されないパターンは、以下のような二大障害に分類できるだろう。

1. 抽象的過ぎるため、プロジェクトの目標が理解されない

現実離れしたコンセプトは、特段すばらしいアイディアでなくても反論すべきポイントもないので異論なく消極的に支持されがちだ。
規模の大きいプロジェクトほど大目標を定めたがるが、理念のようなものを議論すると総論賛成に陥ることになる。
これに類する危険なキーワードとして「美しい国」「イノベーション」「不退転の決意」「クリエイティブな」などが挙げられる。

これらは目標とは言えない曖昧な目標を共有させることで、本当に検討すべき課題への思考を停止させるため、皮肉にもプロジェクト最大のブレーキとなる。
禅のテーマの1つに「問いの立て方が適切であるか?」というチェックポイントがある。
人は「正しい答えであるか?」という点については気を払うことができるが、往々にして問題意識がズレていることには気づかない。
だから、「そもそもそんなことが問題だったのか?」というチェックが新規プロジェクトには欠かせない。

2. 退路を断っていないため、プロジェクトの意義が理解されない

新たな事業から不確実性を排除することはできない。もし排除できたとしたら、それは新規性を失ったということを意味する。
そのようにして凡庸に終わるプロジェクトが無数にあるはずだ。
総論賛成を避け、真剣にリスクをとる決断を積み重ねていくためには、退路を断つことが必須である。

そのためには、既存の事業を全員で否定しなくてはならない。
これはプロジェクトの定義と同じくらいの重要度を持っているが、実際にはほとんどできていない。
「問題が頻発している」「収益性が低くて許容できない」「産業全体が斜陽化している」といった事実を直視することが求められている。

総論賛成・各論反対の構造を生み出すメンバーを烏合の衆という。
立案者は、現状の課題抽出と具体案の策定をしなくてはいけないし、意思決定者は新規性と具体性のチェックをしなくてはならない。
この両方が欠けたときに、絵に描いたような総論賛成が生まれる。それは茶番だ。
各論反対フェーズに移行したときには互いに批判しあう水かけ論に陥りがちだが、要するにどっちもどっちなのだ。

新規プロジェクトは一発目の提案でその後の良し悪しが全て決まる。もっと言えば人選の段階で決していると言って良い。

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